入学礼拝 理事長による「歓迎の言葉」

第29回入学礼拝より
「歓迎の言葉」

 新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。大切なお子様をこの学校へ送って下さったご家族の皆様に感謝申し上げると共に、お慶びを申し上げます。

 今年は北海道から九州まで全国各地から20名の生徒さんを迎えることができました。これらのどの人にとっても、この場所がかけがえの無い場所になることを願っております。

 長年住み慣れた家族の下を離れ、初めての場所で、初めての人と出会い、一緒に生活し、初めての科目を学ぶことは、大きな緊張をはらむことになります。しかし、皆様に先だって、同じ体験を通って、今ではここでの生活を楽しみ、勉学に意欲を持って取り組んでいる、2年生、3年生がいます。寮には相談に乗ってくれる寮監の先生がいて、学校には、学習をていねいに助けてくれる先生がいます。どうか遠慮しないで、いつでも気軽に相談してみて下さい。

 テレビや、スマートフォーン、携帯電話が無いことを寂しく感じることがあるかもしれません。その代わりに、ここには豊かな自然があります。自然と親しみ、自然の語りかけに耳を傾けて下さい。きっと、慰めと勇気を与えられるでしょう。

 学校や、寮で面白くないことがあった時、すぐ愚痴を聴いてくれる家族がそばにいないことを寂しく感じることがあるかもしれません。しかし皆様には、毎日沈黙の時間がります。この時間に一人静まって、今日あったことを一つ、一つ顧み、その意味を考えてみて下さい。聖書を読んで、神様に祈ってみて下さい。その時感じたことをノートに書きとめて、時々、それらをまとめて手紙にし、家族に送ってみて下さい。それを通して家族の人は、皆さんと問題を共有し、祈りを合せることができます。
さて、この学校で学び、生活する上で、最も大切なことを一つだけお勧めしたいと思います。それは、この学校の創立者の高橋三郎先生が廊下にかけてある額に書いておられることです。そこには、こう書かれています。「みなさん自由であってください。そうして真実であってください」。

 真実であるとは、どういうことでしょうか。うそが無いことです。心に偽りがないことです。ごまかしがないことです。みせかけがないことです。裏と表がないことです。建前で生きないことです。ありのままで、欠けたところがあるままで、生きることです。なぜなら、神様がこの私をありのままで愛しておられるからです。神様は、真実です。だから、私たちも真実でなければ、神様の御心に触れることができません。

 この学校は、キリスト教愛真高等学校と名乗っています。しかし、キリスト教主義には、特別なやり方があって、それに従って教育を行おうとしているわけではありません。そうしたやり方は、イエス様の時代の、ユダヤ教の律法学者や、長老、パリサイ人のやり方と似ています。彼らは、ユダヤ教には、特別なやり方があって、それに従うことがユダヤ教徒として大切なことだと思っていたのでした。このような上辺だけを繕う生き方は、真実な生き方から遠く隔たった偽りの生き方です。その結果、神の子イエスを十字架に掛けてしまったのでした。これに対し、イエス様の生き方はいつも、今この時に、この場所で、この人との間で、神様は何を望んでおられるかだけに思いを集中した生き方でした。それが真実な生き方です。その結果として、何物にも縛られない自由な生き方となりました。ヨハネも、真理はあなたたちを自由にする、と言っています。自由な生き方は、真実であることから出てきます。

 真実で、自由であれば、様々なことに縛られて不自由であった時には、見えなかったことが見えてきます。神様の創られた世界の豊かさが見えてきます。助けを必要としている人の存在が見えてきます。それらの人と繋がり合うことの幸いを味わうことができるようになります。自然には、偽りがありません。自然に接することは、私たちが真実から外れそうになる時、真実に立ち帰らせてくれます。

 この学校が、キリスト教愛真高等学校と名乗るのは、既定のキリスト教主義のやり方に従おうとするのでなく、真実で自由でありたいと願うからです。3年間が豊かな歩みになることを願っております。

2016年4月11日
理事長 小久保 正